大嶋潤子さん②〜お父さまと「不屈の精神」へと続く道

 

前回は、大嶋さんとの出会いから「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」のお話までしました。(個人的には義務教育に入れて欲しいくらい、良い取り組みだと思います。視野がグット開けますよ!)さて、今回は続きで、32歳で突然失明した時のことから伺って行きます!

 

大嶋さん(以下O):うん、そうだねぇ!でもね、これ、コンサートでも言ってるんだけど…「死のう」って感じは無かったんだよね。不思議とね。でも、「この先どうやって生きていこう」って思ったよね!だって、何にも出来なくなっちゃうわけだから!私の場合は、徐々に視力を失ったわけじゃなくて、一気に失っちゃったからね。それこそ、右目は1ヶ月くらいで、左目も半年くらいは辛うじて光を感じるくらいで(完全に見えなくなった)。

 

愛子(以下A): そうなんですか!!それまで健常者として生きていたわけだから、点字を読む訓練も何もしていなかったわけですよね…

 

O:そうなのよ!点字って名前くらいは知っていたけど、どういう仕組みだとか全く知らなかったしね。

 

A:大嶋さんは、その頃はご結婚されていたんですか?

 

O:うん、その頃は1回目の結婚をしていて、でも失明したので離婚して実家に戻ってきたの。その時に長男を妊娠していたのよね。それで、そこで出産して、そっから…色々始まったんだよね(笑)

 

A:たくましい、大嶋さん…先程、「不思議と死のうとは思わなかった」と仰っていましたが、どうしてですか?そういうご自身がいたっていうのは何故だと思われます?

 

O:う〜ん、なんでだろう…そんな事聞かれたことなかったから、考えたことなかったなぁ!

 

A:確かに、ちょっと難しいですよね(汗)そうですね…ちょっと平行線上の話として、私は高校生の時に単身アメリカに留学したのですが、やっとホスト・ファミリーの家に辿り着いて初めての夜、時差ボケで夜中に目を覚ました時に、いつもと違う天井を見て、サーっと寒くなって「うわー、来てしまった!」と怖くなったんです。その時もそうだったのですが、その後、20歳の時に重度のパニック障害を発症して年に2〜3回は救急車で運ばれるような状態になった時も、「じゃあ、帰ろう」と思ったことは、不思議と一度もないんです。多分、私の場合は自分で選んだ道だからって言うのもあるし、何か…ここで引いたら、私は一生逃げの人生になるって言う危機感があったからだと思うのですが。でも、大嶋さんの場合は、自ら望んだわけではないし、急に失明したら死にたいと思うくらい絶望してもおかしくないと思うんですよ!

 

O:うんうん!そういう人もいっぱい…実際、自分の知り合いにもいるよね。

 

A:ですよね…なので、その「死のうとは思わなかった」大嶋さんの原動力って何なのか、とても興味があります!

 

O:う〜ん…そうねぇ、一つは、元々ノーテンキな性格ってこともあると思うのよねぇ(笑)だから、見えなくなっても何とかなるって、心の奥底で思っていたかもしれない。

 

A:それって、大嶋さんがそもそも、生に対しての信頼が強いからだと思うんです。だから、それって大嶋さんの生い立ちとかに関係しているのかなぁって感じます。

 

O:うーん、そうだねぇ、難しい質問だね(笑)いや、良い質問だと思うけど、聞かれたことなかったなぁ!

 

A:すみません(汗)

 

O:確かに「死のう」って思わなかったんだよね。考えてみれば不思議ですよね!だって、世の中には失明宣告を受けて、その帰りに鉄橋から飛び降りる人とかいるからね…そういう人って沢山いる。けど、確かに私は不思議と「死のう」とは思わなかった。多分、心の奥底では「見えなくても何とかなる」って思っていたというより、分かっていたのかもしれない!

 

A:そして、実際、そう実現されましたしね。大嶋さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?

 

O:うん、妹がいる。それと今は亡き両親とね、四人家族でした。

 

A:大嶋さんのご両親の世代となると戦争を体験されていると思うのですが…

 

O:そうだよね!そうだ、そうだ!

 

A:そういう環境の中で、ご自分が考える家庭からの影響って何かありますか?もちろん話したくなければ大丈夫です!

 

O:いや、そんなことないよ!今、思い出しているんだけど、うちの父親って、時代背景もあったのかもしれないけれど、すっごいハングリー精神の持ち主だったのね!熊本出身なんだけど、村のガキ大将だったらしく、隣の村の子供たちとしょっちゅう喧嘩していたみたい(笑)それで、熊本の裁判所で事務員をしていたんだけれど、そこに居る裁判官や検事がもの凄く威張っていたんだって!それで「よし、今に見てろ!見返してやる!」って…

 

A:おっ、良いですね!(素敵な反骨精神!)

 

O:それで、学校もろくろく行っていないのに、知り合いもいないのに、単身東京に出てきて、その後ね…私が5歳くらいの時かなぁ。司法試験に合格して弁護士になったんだよね!

 

A:おー、すごいっ!!!

 

O:「根性」っていうものが、現代(いま)の人じゃ計り知れないくらい凄かったよね!

 

A:うんうん、そうですよね!

 

O:東京に出てきて、当然、働きながら勉強したわけだから。根性あるよねぇ(笑)

 

A:「根性」って現代では死語だと思っている人は多いと思いますが、「根性論」とか「気合」みたいな。でも、私には「根性」って一概にそういうことではなくって、ある意味、生命力だと思うんです。

 

O:そうだよね!「(司法試験に)絶対受かってやる」っていう父の一糸乱れぬ生きる姿勢というかエネルギーは凄いものがあった!それで、最後には勲章まで貰ったんだよね(笑)

 

A:勲章!それは凄いですね!

 

O:皇居まで行って貰っていたよ(笑)思い返してみると、父の人生は凄い人生だったなって!そういう父の影響は受けているかもね!

 

A:大嶋さんのお父さまの時代だったら、娘二人(大嶋さん姉妹)に対して、「良いところに嫁に行け」という風潮が主だったと思うんですが、その辺りはいかがでしたか?「自由に生きろ」的なタイプでしたか?

 

O:いやいやいや!父は私に対して、とても厳しくて、もう長男というか、後継として育てられたのよ!

 

A:ひえ〜!!!

 

続く。 

失明した上に、離婚し、ひとり親として出産された、逞しすぎる大嶋さん!サラッとお話されていましたが、失明するだけでも大事なのに、離婚してひとり親になることは、当時は社会の理解も少ないし、今より全くインパクトが違ったと思います。大変ご苦労されたと思いますが、当の本人は、大変だとか苦労だとか感じる暇もなく、お父様譲りの不屈の根性(大嶋さんのHPでは「不屈の精神」と表現されています)で、ガムシャラに前に進み続けてこられたのだと感じました!

対話の中でも少し出ましたが、「根性」という言葉がいつの間にか、根性論という言葉に代表されるように「気合だけで愚直に努力させられ結果を求められる」という意味合いに変化してしまったように思います。けれども、「根性」とは、そもそもは自分の「心根」のことであり、気合のように何処からか持ってくるものではなく、そもそも自分が持ち合わせているものです。だから私は、「根性」は変えられるものだと思っています。だから、大嶋さんは、きっと失明する前から、ご自分の根性というものを見つめ、根性に手をつけ、必要に応じて改める、ということを知らず知らずに繰り返したから、失明された時も、途方に暮れながらも、「死のう」ではなく「どう生きるか」を考える明るさがあったのだと思います。

この、大嶋さんの深い「生きることへの信頼」とその原動力、紐解いていけるでしょうか?

まだまだ続きますが、是非、お付き合い下さい!